天使工房BLOG
和泉の生存確認日記。 現在、更新停滞中。
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長野旅行 #3
お待たせしました。
長野旅行怒涛の二日目。
妹嬢のブログはすでに旅行編を終えておりますが、詳細はこちらに。
二日目はというか、一日目夕食もそうなんだけど、どちらもバイキングでした。
写真撮らなかったので妹嬢ブログから拝借。ちなみにホテル写真も。
一枚目、手前が妹嬢の夕食で奥があたくし。
山の中なのになぜか蟹が大量においてあって、びっくりです。
魚介・山菜満遍なくそろっておりました。
宿泊客が少ないにも関らず、ホテルの従業員が多くいてなんだか暇そうにしてました。食べたお皿をすぐ回収に来てくれるのは良かったんだけど。
ホテルはツインをニ部屋。
広かったー! 手前がベッドで奥がくつろぎ場なのだけど、そこのソファがたぶん簡易ベッドにもなるもので、すごくいごこちが良かった。
このホテルの売店で、信州チェブを見つけたのでありました。
さて、二日目。
二日目は朝8時には出発をして高速道路を走らせて、宿場町・奈良井宿にお出かけです!!
なのですが、その途中、高速道路に入ったとたんパパ様が腹痛を訴えてパーキングエリアで戦線離脱。(パーキングエリアまでよく走った!といえるほど顔面蒼白でした・・・)
なので、急遽妹嬢が初めてパパ様の車を運転することに。
奈良井宿のあるインターまで約100キロ、一時間。大変な道のりでした(ナビがあるけど、あたしが簡易ナビに指定されたため)。
妹嬢が高速道路人生二度目だということを乗り終わってから知る。
ドライブに県内・県外問わずに行ってるから、もっと高速に乗ってお手の物だと思ってた・・・!
で、高速を降りてからパパ様に運転を変わって、長い長い対面道路を走って着いたのが奈良井宿!
三枚目は逆行でよく撮れなかったんだけど、二枚目のこんな家がずっと立ち並んでるの!! 江戸時代の時代劇みたいvv
ここは日本有数の宿場町なんだけど、
宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取扱う為設定された町場をいう。宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。(@wiki)
とのこと。
国指定の宿場町は以下の通り。(@wiki)
国選定重要伝統的建造物群保存地区
* 旧会津西街道 大内宿 (福島県南会津郡下郷町)
* 旧北国街道 海野宿 (長野県東御市)
→ * 旧中山道 奈良井宿 (長野県塩尻市)
* 旧中山道 妻籠宿 (長野県木曽郡南木曽町)
* 旧東海道 関宿 (三重県亀山市)
* 旧若狭街道 熊川宿 (福井県三方上中郡若狭町)
この中では福島の大内宿はよく行くんだけど、あそこは人々が暮らしてはいるんだけど観光スポットって感じの土産屋重視の宿場町です。
それに比べて奈良井宿は約一キロ直線に連なっていて、土産屋はあるけど、この宿場町でいまも暮らしている人々の生活感を感じられる場所でした。
宿場全てがなにかを営んでるわけでもなく、普通に民家もあり。
それに民宿・みやげやさん・食事処だけでなく酒屋さん、木工屋さんもあったのが印象的。
水場も等間隔で六つ設置されていて、道祖神もお寺も神社もあって、本当に好きなかつ理想的な江戸の街並みみたいなところでした。
ここはもう一度、ゆっくり見てまわりたいわ・・
その後に行ったのが「寝覚之床」(ねざめのとこ)。
なにがあるのかと思ったら、浦島太郎が玉手箱を開いておじいさんになってしまったことに気づいた寺と岩場とのこと。おじいさんになってびっくりして目が覚めたから「寝覚之床」らしいです・・
浦島太郎がおじいさんになった顔をのぞいたとという池。
二枚目でわかるかな、曲線になっている川の両岸が岩場で、それぞれ名前が付けられています。近くで見たら三枚目みたいな本当に、ごつごつした岩。
展望台からそれら岩場を眺めて、その奥にあったのが浦島堂。
展望台からの眺め→
浦島堂にいく最中(写真はその帰り)のパパ様と妹嬢→
で、浦島堂(妹嬢ブログから拝借)→
あたくしは岩場まで行かなかったので全体的に遠い写真ですが、迫力があって落ちるのでは!と思う岩場でした。
浦島太郎伝説の審議はわからないけれど、そういって1200年伝えられてきた場所だとのことです。伝えられてきたということが歴史かな。
またまた長い長い対面道路を通って新潟に帰る途中に寄ったのが諏訪の御柱祭が七年に一度開かれる、諏訪大社。全国各地にある諏訪神社の総本山(?)です。
そういえば地元の神社も諏訪神社でした。
諏訪大社には上社と下社があって、
上社には諏訪大社上社本宮、諏訪大社上社前宮があり、
下社には諏訪大社下社春宮、諏訪大社下社秋宮があります。
この4宮で1社なのだそうです。
行ったのは「諏訪大社下社秋宮」。
なんですがちょうど神楽殿が改装中で、改装後予定の垂れ幕がかけられておりました↓
獅子・狛犬は本物ですが、神楽殿は写真引き伸ばしの垂れ幕です。
ぱっと見わからないよね。
諏訪大社といったら・・の御柱。↓
御柱はそれぞれの宮に4本建てられて、七年ごとに4宮×4本、計16本が建て替えられるそうです。
御柱は、宮の幣拝殿(拝殿―祭祀・拝礼を行なうための社殿で、祭祀の時に神職などが着座するところ、幣殿―祭儀を行い、幣帛を奉る社殿。独立していることもあるが、拝殿と一体になっていることが多い@wiki)と御神木を正方形に囲むように建てられているので、結界の役割を果たしているのではと推察。
テンションの挙がる、興味深い神社ですヨ。
今度は四宮それぞれまわりに行きたい。
そんなこんなで高速道路を乗り継いで、午後八時半ごろ帰宅。
長くて充実の秋旅行でした!!!
長野旅行怒涛の二日目。
妹嬢のブログはすでに旅行編を終えておりますが、詳細はこちらに。
二日目はというか、一日目夕食もそうなんだけど、どちらもバイキングでした。
写真撮らなかったので妹嬢ブログから拝借。ちなみにホテル写真も。
一枚目、手前が妹嬢の夕食で奥があたくし。
山の中なのになぜか蟹が大量においてあって、びっくりです。
魚介・山菜満遍なくそろっておりました。
宿泊客が少ないにも関らず、ホテルの従業員が多くいてなんだか暇そうにしてました。食べたお皿をすぐ回収に来てくれるのは良かったんだけど。
ホテルはツインをニ部屋。
広かったー! 手前がベッドで奥がくつろぎ場なのだけど、そこのソファがたぶん簡易ベッドにもなるもので、すごくいごこちが良かった。
このホテルの売店で、信州チェブを見つけたのでありました。
さて、二日目。
二日目は朝8時には出発をして高速道路を走らせて、宿場町・奈良井宿にお出かけです!!
なのですが、その途中、高速道路に入ったとたんパパ様が腹痛を訴えてパーキングエリアで戦線離脱。(パーキングエリアまでよく走った!といえるほど顔面蒼白でした・・・)
なので、急遽妹嬢が初めてパパ様の車を運転することに。
奈良井宿のあるインターまで約100キロ、一時間。大変な道のりでした(ナビがあるけど、あたしが簡易ナビに指定されたため)。
妹嬢が高速道路人生二度目だということを乗り終わってから知る。
ドライブに県内・県外問わずに行ってるから、もっと高速に乗ってお手の物だと思ってた・・・!
で、高速を降りてからパパ様に運転を変わって、長い長い対面道路を走って着いたのが奈良井宿!
三枚目は逆行でよく撮れなかったんだけど、二枚目のこんな家がずっと立ち並んでるの!! 江戸時代の時代劇みたいvv
ここは日本有数の宿場町なんだけど、
宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取扱う為設定された町場をいう。宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。(@wiki)
とのこと。
国指定の宿場町は以下の通り。(@wiki)
国選定重要伝統的建造物群保存地区
* 旧会津西街道 大内宿 (福島県南会津郡下郷町)
* 旧北国街道 海野宿 (長野県東御市)
→ * 旧中山道 奈良井宿 (長野県塩尻市)
* 旧中山道 妻籠宿 (長野県木曽郡南木曽町)
* 旧東海道 関宿 (三重県亀山市)
* 旧若狭街道 熊川宿 (福井県三方上中郡若狭町)
この中では福島の大内宿はよく行くんだけど、あそこは人々が暮らしてはいるんだけど観光スポットって感じの土産屋重視の宿場町です。
それに比べて奈良井宿は約一キロ直線に連なっていて、土産屋はあるけど、この宿場町でいまも暮らしている人々の生活感を感じられる場所でした。
宿場全てがなにかを営んでるわけでもなく、普通に民家もあり。
それに民宿・みやげやさん・食事処だけでなく酒屋さん、木工屋さんもあったのが印象的。
水場も等間隔で六つ設置されていて、道祖神もお寺も神社もあって、本当に好きなかつ理想的な江戸の街並みみたいなところでした。
ここはもう一度、ゆっくり見てまわりたいわ・・
その後に行ったのが「寝覚之床」(ねざめのとこ)。
なにがあるのかと思ったら、浦島太郎が玉手箱を開いておじいさんになってしまったことに気づいた寺と岩場とのこと。おじいさんになってびっくりして目が覚めたから「寝覚之床」らしいです・・
浦島太郎がおじいさんになった顔をのぞいたとという池。
二枚目でわかるかな、曲線になっている川の両岸が岩場で、それぞれ名前が付けられています。近くで見たら三枚目みたいな本当に、ごつごつした岩。
展望台からそれら岩場を眺めて、その奥にあったのが浦島堂。
展望台からの眺め→
浦島堂にいく最中(写真はその帰り)のパパ様と妹嬢→
で、浦島堂(妹嬢ブログから拝借)→
あたくしは岩場まで行かなかったので全体的に遠い写真ですが、迫力があって落ちるのでは!と思う岩場でした。
浦島太郎伝説の審議はわからないけれど、そういって1200年伝えられてきた場所だとのことです。伝えられてきたということが歴史かな。
またまた長い長い対面道路を通って新潟に帰る途中に寄ったのが諏訪の御柱祭が七年に一度開かれる、諏訪大社。全国各地にある諏訪神社の総本山(?)です。
そういえば地元の神社も諏訪神社でした。
諏訪大社には上社と下社があって、
上社には諏訪大社上社本宮、諏訪大社上社前宮があり、
下社には諏訪大社下社春宮、諏訪大社下社秋宮があります。
この4宮で1社なのだそうです。
行ったのは「諏訪大社下社秋宮」。
なんですがちょうど神楽殿が改装中で、改装後予定の垂れ幕がかけられておりました↓
獅子・狛犬は本物ですが、神楽殿は写真引き伸ばしの垂れ幕です。
ぱっと見わからないよね。
諏訪大社といったら・・の御柱。↓
御柱はそれぞれの宮に4本建てられて、七年ごとに4宮×4本、計16本が建て替えられるそうです。
御柱は、宮の幣拝殿(拝殿―祭祀・拝礼を行なうための社殿で、祭祀の時に神職などが着座するところ、幣殿―祭儀を行い、幣帛を奉る社殿。独立していることもあるが、拝殿と一体になっていることが多い@wiki)と御神木を正方形に囲むように建てられているので、結界の役割を果たしているのではと推察。
テンションの挙がる、興味深い神社ですヨ。
今度は四宮それぞれまわりに行きたい。
そんなこんなで高速道路を乗り継いで、午後八時半ごろ帰宅。
長くて充実の秋旅行でした!!!
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