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和泉の生存確認日記。 現在、更新停滞中。

   
カテゴリー「旅レポ」の記事一覧

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城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #3

そうそう、比叡山延暦寺にはもろもろのお堂があるのですが、
三塔で十個の御朱印をいただけます。
今年から御朱印集めを始めた我家にとって、願ってもない話でした!
やるからには徹底的に。
御朱印を書いてもらって、約2時間ほどで延暦寺をお暇しました。


比叡山延暦寺は、琵琶湖の東部にあります(日本海側:湖東)。
でも本日泊まる場所は琵琶湖の西部(太平洋側:湖西)。
なので琵琶湖を越えなければならないんです。
というわけで、琵琶湖南部にかかっている琵琶湖大橋を通ってきました!
約1.4キロ。
比叡山ドライブウェイで一望したのですが、間近で琵琶湖を一望。
湖なんだろうけど、一瞬海に見えました!!

↑真ん中にかかっている橋が琵琶湖大橋。



で、次に向かうはこの日の第二メイン、彦根城!
だったんですが、時間があんまりないことに気づく。
閉館が17時だったので、所要時間2時間を考慮して15時に入館すればいいと思っていたのですが、思ったより時間がかかってしまって。
なので、彦根城は次の日に。



次に向かったのは多賀大社
滋賀県(近江国)三宮の神社です。
  
写真技術が下手なのは勘弁・・
御祭神は 伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ) と 伊邪那美大神 (いざなみのおおかみ) 。
古くから「お多賀さん」と親しまれている神社。
14もの末社があって、境内には能舞殿もある。
中世にはここで能が披露されたのかな?

多賀大社では御神籤を引きました。
なんだか珍しい、昔ながらの御籤棒式。
まあ結果は・・・なのですが、もらった御神籤の紙の色がそれぞれ異なるようで、
なんだかその日のラッキーカラーのような気がしました。
和泉は橙、妹嬢は彼女が大好きな色でもある赤。



今回の旅テーマは「歴史堪能ツアー」。
旅行の下調べと予定立案(ことごとく変更になりましたが)は和泉だったので、行きたい神社仏閣も和泉が選出しました。
(比叡山延暦寺と二日目に行く永平寺は、ママ様選出の絶対事項でした)
その選出に一役買った本が、『すぐわかる 日本の神社 『古事記』『日本書紀』で読み解く』です。
「全国の古社・名社約100社を厳選した、これまでにない神社ガイド」ということで、今回の旅行で行った神社は名社ばかりなのです!!

  
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城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #2

なんだかブログ更新が極端ですみません。
一ヶ月放置後に同日3回更新とか・・・


さて、比叡山延暦寺の続きです~

比叡山延暦寺は三地域に分かれていて、三塔十六谷の総称なのだそうです!
ドデカイお寺があるだけかと思ったらちがうんですねえ、吃驚。
三地域は東塔、西塔、横川とありまして、それぞれ車で五分ほど離れております。
ドライブウェイ経由でよかった~
東塔から横川まで徒歩で行ったら一時間半もかかるんだって!
ではこの三地域の特徴でも~



東塔(とうとう)
  
上:根本中堂(国宝)
下:大講堂(重要文化財)

東塔は三塔の中心で、延暦寺発祥の地。
上記写真以外に重要な建物(堂塔)が集まっています。
中でも国宝・根本中堂には「不滅の法灯」といって、開創以来1200年間絶やすことなく灯り続ける灯があるのだそうです。
今でも毎日、息がかからないようにマスクをして、菜種油を注いで灯を守っているとのお話。気をぬくと灯が消えてしまうことから、「油断」という言葉ができたんだって。
1200年って西暦800年ごろから。すごい話です。

ここで戦国好きなら疑問が出るでしょう。
信長に焼き討ちされたために、灯は一度途切れたのではないか?
現に現存するこの根本中堂は1642年に竣工されたもの、らしい。
この疑問はお坊さんの説明で解決されました。
焼き討ち以前に、法灯を他のお堂に分堂していたため、再建時にその分堂から再び持ち帰ったのだそうです。

御本尊は薬師如来。現在をつかさどっているのだ言います。
ご利益は家内安全、身体健康、病気平癒など。



西塔(さいとう)

釈迦堂(重要文化財)

西塔は比叡山最古の建物釈迦堂を中心に他のお堂が点在しています。
釈迦堂は焼き討ち後に秀吉が移築したもの。
なんでも弁慶ゆかりの地で、弁慶は延暦寺のお坊さんだったそうです。
西塔の武蔵坊に住んでいたことから、西塔武蔵坊弁慶と名乗っていたんですって。

西塔の御本尊は釈迦如来。過去をつかさどっているのだと言います。
ご利益は厄難消除。



横川(よこかわ)
  
上:横川中堂
下:角大師

横川の中心はこの横川中堂。
昭和17年に落雷で全焼したらしく、現存は昭和46年に復元したお堂。
横川は多くの名僧たちが修行に入った地なのだそうです。
そのためか横川はもっとも強烈な霊域だったらしい。

中でも横川に居住していた慈恵大師という方は、流行していた疫病(疫病神)を法力で退散させたのだといわれている。この時鏡の前で念仏を唱えていた大師の姿が、骨ばかりの鬼(夜叉)の姿に変わり、その姿を弟子が描き写した姿が写真右の角大師(つのだいし)らしい。その後この角大師をお札にして、「戸口に貼れば、厄病はもとより一切の厄災から逃れられる」と示したのだそう。
以後、「角大師」は魔よけの護符として現在もご利益があるんだって。
今回この護符は買ってきていないのだけど、護符として戸口に貼られていたのを確認してきました!(写真は撮ったけど戸口を勝手に撮ってきたものなので割愛)

それから、横川にある四季講堂(元三大師堂)は御神籤の元祖。
でもねここの御神籤、軽はずみにひいてはいけないんです。
なぜなら「必ず結果に従わなければならない」から。
詰めていたお坊さんに、「あの、御神籤を・・・」と聞いたら、御神籤の注意書きを示されました。
その雰囲気だけで萎縮。なのでひいてきませんでした。
(一回1000円の値段もあるのだけど)
本当に、人生の道に迷ったときに引くべきものらしいです。

横川の御本尊は観音菩薩。未来をつかさどっているのだと言います。
ご利益は除災招福。



比叡山の国宝殿にも入館してきて、国宝・重要文化財をみてきました。
歴史の教科書・資料集に載っている収蔵品ばかりだと思うのだけど、日本史学んでなかったために勉強不足。残念。
パンフレットは五種類、あるだけもらってきました。
お土産に延暦寺が編纂・発行した本『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』を購入。歴史、教えと修行、文学、伝説、文化財、年中行事、巡拝の仕方について書かれていて、概説書としての役割を果たしている本でした。読むのが楽しみ★


城と神社仏閣,歴史堪能ツアー #1

旅レポ第二弾は、北陸経由滋賀旅行です!!

当然写真付旅レポなんですが、和泉の非常に拙い写真技術のせいで公開できる写真が少ないです・・・
写真は数打ちゃ当たるとは思うんですが、そんなに数打っていない上に当たりが極端に少ない現状。
写真撮影技術誰か教えてくれないかな。。



行ってきたのはGW突入の4月29日から5月1日の二泊三日。
内容は「城と神社仏閣の歴史堪能ツアー」

新潟は午前3時出発。
高速道路の北陸道・名神道を経由して最初に向かったのは比叡山延暦寺。
あの織田信長が焼き討ちをしたという例の場所。

比叡山に行くには二つのルートがあって、
比叡山ドライブウェイ・奥比叡ドライブウェイを使用するルートと、
京都坂本からケーブルカーとロープウェイにのって比叡山に向かうルートがあります。

坂本からのケーブルカーの乗車チケットが良縁招来・延寿福楽等のお守りになるらしく魅力的だったのですが、今回はドライブウェイを利用。
こちらの方が延暦寺をくまなく巡拝できます。
でも、京都坂本にはかの神猿(まさる)で有名な「日吉大社」もあって、すごく捨てがたかった・・・
やっぱり京都はもう一度じっくり巡拝したい場所です。

というわけで比叡山延暦寺へ。
比叡山は標高848メートル、京都の鬼門(北東の艮:うしとら)にある霊峰。
現在の仏教宗派の各上人祖師が一度は修行したといわれる場所なので、日本仏教の聖地とも呼ばれています。
世界文化遺産に登録認定されていることも有名。


ちょっと中断。



粟島浦村めぐり #3

一時間ほどでこれら7箇所を見て回って、
次は島をめぐるサイクリングへ!
全部は時間的に無理なので、途中半分まで。
これでも時間ギリギリ・・ 船に間に合わないかと思った・・!


(公式観光ウォーキングマップを加工して、辿った道を赤線で記しました)

行ったのはこの赤い線で辿ったところ(たぶん)。
内浦地区から出発して、ぐるりと半周。
ところどころの坂、じゃないな山道がきつかった・・
途中村の人に「一周するの?」と Σ(っ゚Д゚;)っ  こんな顔で尋ねられたの・・
「かなりかかるよ?」との言葉どおり、半周で時間切れ。
たぶん村の人も自転車でなんて島一周しないんだわ。

  
左:海の向こうに見えるのは新潟の村上から山形にかけてかな。
右:内浦地区に向かって撮った写真。

新潟にこんなエメラルドグリーンな海があることにびっくり!
海の写真もっと撮っておきたかったのに、サイクリングの途中で和泉の携帯電話がご就寝(携帯写真なので)orz...(高画質な旅日記は妹嬢ブログへ)

半周の帰り、中間点から内浦地区へはかなり急で長い下り坂でした!
時速何キロでるんだ??というぐらい速く、下りすぎてブレーキが利かなくなるほど。
ポエム的には「――わたし、いま風になってる……!」かな?

で、つながっていたのは村の学校がある道路。
そう、この道路には村唯一の信号が設置されているのです!!
信号を写真に納める日がくるとは驚愕。
サイクリング時間は約1時間半。
これでもかなり急いだので、やっぱり滞在四時間だと島一周は無理でした。


そうだ。全然、高速船「きらら」の説明をしてませんでしたね。
現在粟島と岩船港を結んでいる船は、高速船「きらら」とフェリー「あわしま」の二船。
フェリー「あわしま」は一時間半で結ぶのに対し、
高速船「きらら」は55分で結びます。
新潟→粟島へは波に逆らって行く為か、かなりアップダウンの激しい往路。
出行十分で船酔い。横になっても気持ち悪かったです。。
それに比べて粟島→新潟への復路はずっと穏やかなまま。いい船旅でした。
が、サイクリングの疲れかそのほとんどを寝てしまって、全然船旅満喫できませんでした!!残念。


というわけで魅惑の孤島・粟島の旅でした!!
まだまだ巡り足りない場所があるのでまた行ってみたいなあ。

粟島浦村めぐり #2

餅まきが終わったら粟島浦村散策です!
粟島浦村は、船が就航する内浦地区と反対側の釜谷地区に分かれてます。(@島全体マップ
本当は反対側の釜谷地区にも行きたかったのだけど、
滞在時間が4時間弱だったので諦め。
なので内浦地区を一周しながら七つの見所ををめぐってきました!(@内浦地区マップ


以下、今回撮ってきた写真と公式HPに載っている説明文。


〈ア〉風の三郎様:大風が吹くと船の安全を考えて島民は祈りに行きます。


〈イ〉乳入観音:神丸七平さん宅の守り神で、島民の女性が妊娠すると乳が多く出るように祈りに行きます。

(たぶん、これだと思うんだけど・・自信ありません)


〈ウ〉庚申様:集落の出入り口に祀られており、疫病等が入らないように守っています。



〈エ〉やす突観音:仏崎から漁師の六蔵がやすで突いて引き上げたといわれています。村人の信仰はもとより北前船が往来した頃は安全を祈願しました。

(御開帳は1月17日、8月9日、8月17日の年三回のため、今回は見れませんでした。写真で見る限り、まっとうな観音様。高さ171センチ、重さ44キロってかなり大きいです)


〈オ〉板碑:中世に造られた物で、生前に後生の幸せを願う逆修の板碑です。

(今回唯一のお土産は、この板碑を研究した「粟島の板碑文化」という本。これら板碑には梵字が彫られていたので、梵字の勉強の一環として購入。役場にはほかにも、粟島の方言、民謡(わらべ歌)などの研究本がありました)


〈カ〉八所神社:高御産日(タカミムスビ)の神等が祭られている島の氏神様です。

(釜谷地区には「塩釜六所神社」に釜谷集落の氏神様が祭ってあるそうです。「八所」と「六所」の名の由来が気になるところ・・)

  
〈キ〉弁天様:新潟地震前は海に囲まれていました。

(岩の上部に弁天様。岩内部は写真右のように空洞で海水が見えます)
  

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